Profile

SANYUUTEI ARAMA

1977年5月14日生まれ AB型 長子

鹿児島市天保山町出身

鹿児島大学工学部応用化学工学科卒業のweb・IT強め理系女子

コンサル会社人事部を経てフリーアナウンサー・女優を経験

小学校PTA会長3期(内杉並区立小学校PTA連合会長)中学校PTA会長1期計4期・各種審議会委員・学校運営協議会委員

子供目線・保護者目線の落語公演の他、PTA及びインクルーシブ教育などの講演会も精力的に開催。

めざまし8やNHK視点論点ではPTA改革論を展開。肝臓移植、先天性の難病の話を含め「いのちの授業」など。

趣味:カラオケ・ドライブ・スキー・水泳・バスケットボール

好きな食べ物:両棒餅とざぼんラーメン(鹿児島市)・鬼饅頭(覚王山)・鰻の白焼き茶漬けとまるやのひつまぶし(名古屋市)うなぎパイV.S.O.Pと餃子の石松(浜松市)

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落語を知って、落語家になろうとするまで

1977年鹿児島市立病院で生まれるも、先天性胆道閉鎖症の為、鹿児島大学病院に転院。詳しくは闘病記

1980年鹿児島市立八幡幼稚園入園。父の税理士試験の勉強の為、神奈川県横浜市港南区千手院幼稚園に数か月転園。

1983年鹿児島市立八幡小学校入学。こども劇場で定期的に生の人形劇・演劇に触れ、お楽しみ会で友人とあら馬作演出の人形劇を公演。児童会長を務めたり、亭主関白で厳格な父の影響で正義感と暴力が恐ろしく強かったので、小学校時代のあだ名は女子プロレスラー。

1990年鹿児島市の有名ヤンキー校天保山中学校に入学。生徒会・演劇部で主役を張る

1993年鹿児島県立武岡台高校情報科学工学科に入学。学園祭で面白い人2位。美人だと思う人2位になる。

1996年鹿児島大学工学部応用化学工学科入学。バイト三昧。その中でアナウンサーを目指しMBC学園アナウンススクールに通い、KTS・KYTで女子大生タレントをし、KKBこども博でコンパニオン、月刊タウン情報かごしまで読者モデル・フレンズFMパーソナリティ(鹿児島メディア総舐め舐め)、ミスキャンパスとして雑誌に掲載、ミス鹿児島ファイナリストになるも発掘されず、就職活動で日テレ・フジテレビを受けるも落ち、やけになって

2000年大学卒業式とともにただ上京。コンサル会社のフリーペーパー誌を目にし、世間体を気にする親父が怖いので5月株式会社ジャパンライフシステムズに入社。総務人事所属での朝礼のマイクパフォーマンスが目に留まり、社外のイベント司会などで活動するも物足りず、退社。本格的にフリーアナウンサーとして日エンプロダクションに所属。ぐるぐるナインティナイン・お昼の帯番組「情報ツウ」進ぬ電波少年、東京モーターショーなどでも芽が出ず、役者に軌道修正。

2005年三宅裕司のスーパーエキセントリックシアターで勉強中、入籍。(保険証と年金が払えないので当時の彼氏(現旦那)に頼む。)

2006年芸能界に区切りをつけて旦那の名古屋転勤に合わせて同居・子作り・名古屋市千種区星が丘マタニティ病院で2児出産。

2011年友人の六本木での結婚式司会を務めたぐらいから、また芸能界への未練が湧きあがる。「東京にマンション買ってやる」と言っていた親父が死んで転がってきた遺産を遺言通り、東京に納めてやろうと、東京に家を建て、旦那を残し、再上京。

上の娘の幼稚園の保護者会で緊張で震え、上ずる私をよそに他の保護者の「うちのこ最近幼稚園で~。」とか、「うちのこ家では~なんです。」の様子報告がまあ落ちがあって上手いこと。「こんなのあたしじゃない!」と悔しくて、昔いた事務所にリハビリさしてくれと挨拶をしに行くと、落語教室があるよ。と。


落語家になる

近所のママ友が子ども達を見とくから息抜きしといで、ってことで通い始めた落語教室で現師匠とん馬に出会う。

2012年弟子入りを志願したが断られ、5年紆余曲折あり、PTA会長が2期終わる頃に、プロ入りを再決心。

2017年1月とん馬に履歴書提出。

2017年1月見習い。2017年4月楽屋入り。

☆初高座

2017年5月23日新宿末広亭「雑排」

☆初高座祝い

紅純・鯉舟・吉馬・晴太・喜之輔・仁馬・昇りん(敬称略)と光麺にて。

☆初仕事

2017年6月12日橘家仲蔵師匠国立演芸場独演会 小もん・橘之助師匠

☆落語芸術協会最高齢入門前座

2018年45歳の前座が入門。浅草演芸ホールの2階の楽屋往復で膝を壊して辞めていき、当時の前座の多さも加味され、理事会にて年齢制限が35歳と明確になった。その為、39歳で入門したあら馬が辞めない限り、落語芸術協会最高齢入門前座となる。

☆前座しながらPTA連合協議会会長

落語家になる前に2年PTA会長をしていたので、敷居は低かったのだが、前座PTA会長経験者の圓満師匠に相談の下、(PTA会長経験者は他に金太郎師匠、右左喜師匠、歌助師匠、米多朗師匠など)前座仕事も休まず、2019年任期満了で退任。

余命宣告のない人生がスタート

2021年9月28日遊馬師匠の日本橋亭出演翌日肝臓移植手術のために入院。詳しくは「肝移植」ページへ。

2021年10月11日生体肝移植

2021年12月高座復帰

2022年10月宝島社月刊誌「GLOW」読者モデルかがやき隊としても活動開始

2023年4月4回目のPTA会長を杉並区立向陽中学校にて4度目の会長を務める。

2025年現在落語家、読者モデルの傍ら、学校運営協議会委員・読み聞かせなどのボランティア活動にも従事。